笠岡市吉田文化会館では3月11日まで「3.11week」として震災に関するイベントをおこないます。
その最初のイベント「吉田幸希さんと語る会」が、3月5日(日)午前10時から開催されました。
福島の今を吉田幸希さんから報告
「吉田幸希さんと語る会」主催は明日への架け橋Kasaoka。明日への架け橋kasaokaは、東日本大震災により被害を受けた南三陸町を応援&応援するメンバーを支える後方支援の任意団体です。
吉田文化会館(吉田公民館ではございません)の2階でおこなわれた語る会、最初の1時間は、おおくまWalkers代表 吉田幸希さんから福島の状況の話と吉田さんが取り組まれている活動の話がありました。
吉田幸希さんの活動
2011年3月11日に東日本大震災が発生したときは、吉田さんは福島県郡山市に住んでいました。
震災後、群馬県に避難したあと2014年9月に笠岡市を避難地に選び、笠岡で生活を始めます。
小学校、中学校時代を笠岡で過ごしたあと、高校進学を機に福島に帰った吉田さん。
高校を卒業して、大学へ進学するのではなく、おおくまWalkers代表として福島県双葉郡浪江町に住み、双葉郡大熊町を中心に活動されています。
おおくまWalkersは、大学生が中心となっている任意団体で理念は以下です。
「大熊町と町外に輪を広げる」
おおくまWalkers
→これからも継続的に大熊町と関わってくれる若者を増やすことを目的とする。
①若者が大熊町を訪れ、課題と向き合い、発信して、新しい若者を呼ぶ。
②上記の流れをサイクル化することで、交流人口・関係人口ともに拡大することが期待できる。
笠岡に縁のある吉田さん。笠岡で過ごした期間は、良いことや楽しいことのほかに悔しい思いをされたことも含めて、福島を外から見ることができた貴重な体験だったと話されます。
大熊町を訪れた際に感じた〈無音〉〈白黒(モノクロ)の世界〉に衝撃を受けて、ここをどうにか変えたいと思ったのが、活動の背景です。
吉田さんのFacebookより
震災後に訪れた福島の町の変化。大熊町を訪れたときに生活空間が広がっているのに音がまったくしない不気味さに衝撃を受け、「大熊町をどうにか変えたい」と考えて「おおくまハチドリプロジェクト」に応募します。
おおくまハチドリプロジェクトとはなにか
このプロジェクトは、今年から新たに始まった全国の学生による大熊町の発展のための企画立案プロジェクトです。事前勉強会、現地見学会の2回の学びをもとにチームごとに自分たちの強みを生かした立案を行い、最終的に企画発表会にて町役場・関係者の皆様の前で発表を行います。東日本大震災から10年目の節目に、当時小学生だった学生たちが改めてその歴史を振り返り、新たな角度から未来を見据え、知を集結してアイディアを提案することで、大熊町に対する若者の深い理解と関係人口の創出、また発展のきっかけとなることを目指します。
おおくまハチドリプロジェクト
2020年12月にスタートした「おおくまハチドリプロジェクト」は、大熊町の復興のために学生が企画立案をおこなうアイデアソンプログラム。
吉田さんは「パレットおおくま〜色と音のあふれるまち〜」で第二回おおくまハチドリプロジェクトのグランプリを受賞します。
大熊町で感じた音と色のない世界の不自然さ。そのサイレントとモノクロの世界をアートの力で彩るため企画したのが「パレットおおくま〜色と音のあふれるまち〜」です。
大熊の町全体を彩るための「大熊総合芸術祭」、大熊で活躍する人たちが輝くことができるための「大熊若者サミット」などの企画や運営を吉田さんはおこない、大熊町の復興のために日々活動をされています。
参加者との意見交換会
1時間ほど吉田幸希さんが話されたあと、参加者のかたがたとの意見交換がおこなわれました。
明日への架け橋Kasaoka代表の中村さんから話が始まり、同じくKasaokaの加藤さんの話でクローズするまでどんどんと感想や意見が出ました。
会場の参加者の感想や疑問などを率直に意見交換する時間は貴重です。
参加者が持っている福島のイメージ、南海トラフが発生する確率が高いと言われる状況での率直な気持ちを、一人一人がマイクを通しての発表です。
笠岡市から派遣された市役所の職員さん、阪神淡路大震災で被災した参加者のかたもいらっしゃって、貴重な体験談をお聞きすることができました。
参加者のかたから、吉田幸希さんについても質問があったので紹介します。
吉田幸希さんが笠岡に避難したきっかけは?
吉田さんが見つけたわけではなく、お母さんが探して笠岡を見つけたそうです。
吉田さんがなぜ笠岡だったのかと想像する笠岡選択の理由は以下です。
- 福島から1,000km離れているので安心
- 自然災害の発生率が低い
そのほかにも、震災後に笠岡に避難してきた人たちがいることも選択の重要なポイントになったのではないかと言われていました。
今後のビジョンは?
現在はインターン的な考えで、いろいろな経験を積む期間だと考えているそうです。
「今後どこまでできるかは分からないが、できることを進めていきたい」と今の思いを語ってくださいました。
若い力が復興・地域おこしのキーになる
福島の復興、大熊町の復興のために活動し、地域おこしのプロジェクトを若い力で推進している吉田さん。
地域おこしの観点から考えると、過疎化に歯止めがかからない笠岡市も参考にするべきポイントが多くあった「吉田幸希さんと語る会」でした。
地域おこしのベースは違えど、今後どうやって町ににぎわいを取り戻すのかに向けて、全年齢層の人たちがいっしょに考え取り組むべき時期です。
若いからこその発想と行動力が福島にも笠岡にも必要だと実感した時間でした。
東日本大震災から10年以上たった2023年。南海トラフ地震の発生は確実と言われています。
一人一人が防災の意識を高め、常にもしも大地震が来たらどう行動するかを考えながら生活をすることの必要性もひしひしと感じました。
▼語る会のあとは「なみえ風焼そば」の販売もありました。用意した100食は完売したそうです。
おいしかったですよ!
次は2023年3月11日(日)午後1時より、「南海トラフ地震に向けて」明日への架け橋Kasaoka報告が吉田文化会館(吉田公民館ではございません)で開催されます。